2009年6月4日木曜日

キャラクター 愉快な人の肖像



監督
ポール・トーマス・アンダーソン

キャスト
スティーブ・マーティン
アダム・サンドラー

「愛憎」という言葉がある。三省堂の国語辞典によると「個人に対する好ききらい」という意味らしい。「好ききらい」というレベルなら、この映画を愛憎劇とは呼べない。「キャラクター 孤独な人の肖像」(1997)のキャラクターたちは、お互いに生死をかけて相手を愛し、憎みあう。

そのあまりの徹底さに、起こっていることは悲劇なのだが、カタルシスよりもある種の美しささえ感じてしまう。

映画自体は素晴らしい作品(アカデミー賞外国語映画賞を受賞している)で好きな作品だが、登場人物たちの生涯はあまりにも悲しすぎて、違った行動をとって悲劇を回避したらどんな人生を送っただろうと考えてしまう。

そこで、この映画の登場人物たちを底抜けに明るくして、同じ状況だが、その中で彼らがどのように生涯を送るのかを考えてみたい。



まずはオリジナルの映画のストーリーを紹介しよう。(注:ネタバレあります)

舞台はオランダ、ロッテルダム。
映画は、弁護士のヤコブ=ヴィレム・カタロドーフが警察で取調べを受けているところからはじまる。容疑は絶大な力を持ち債権を回収する執行官ドレイブルハーブン殺害に関してだ。

そこで、ヤコブはドレイブルハーブンとの関係を振り返る。

ヤコブはドレイブルハーブンとその家政婦とのあいだに生まれる。二人は一夜限りの関係だった。家政婦は子供ができたことを告げ、ドレイブルハーブンのもとを去る。

ドレイブルハーブンは彼女に結婚を申し込むが、彼女はそれを拒否する。

そしてヤコブが生まれる。母親は彼に対して冷たく接する。やさしい言葉ひとつかけてもらえないヤコブは読書に慰みを求めるようになる。

成人したヤコブは家を出る決意をし、国民信用金庫から金を借りて煙草屋を買い取るが、煙草ではなく藁くずをつかまされ、莫大な借金だけが残ることになる。

彼は無収入だったため、借金返済の執行停止を弁護士が裁判所に提案した。そして同時にその弁護士は彼を書記として雇うことにする。

定収入のできた彼に再び、借金返済を国民信用金庫から求められる。じつは、国民信用金庫はドレイブルハーブンのものだったのだ。ドレイブルハーブンはヤコブが実の息子であると知りながら、彼にはそのことを告げず、給料天引きでヤコブから借金を取り立てる。

地道に働き続け、すべての借金を返済したヤコブは、弁護士を目指すため、再び、ドレイブルハーブンから借金することになる。しかしそれには条件があって、ドレイブルハーブンが求めたときは、その全額を払わなければならないというものだった。

ヤコブはその法律事務所でひとりの女性に恋をする。彼女に自分の気持ちを打ち明けてはいなかったが、お互いに気持ちが通じ合っていると感じていた彼は、彼女が見知らぬ男性と海岸にいることを目撃し、彼女を避けるようになる。

弁護士事務所の事務局長が使い込みをしたことで、彼がその事務局長に任命される。しかしその直後にドレイブルハーブンがそれを阻止するかのように、借金の全額返済をヤコブに求める。

裁判で争った末、ヤコブが勝訴する。

その後、勉強に打ち込んだヤコブは、ついに国家試験に合格し弁護士になる。母親は、結局、誰にもこころを開かないままひっそりと死んでしまう。

彼は、ドレイブルハーブンの家を訪れ、数々の自分の成功に対する妨害工作の恨みを彼に告げ、格闘になる。

ヤコブはドレイブルハーブンを痛めつけただけで、その場を立ち去るのだが、そのあとで、父は自殺する。

物語の最後、父親が息子に多額の遺産を譲る遺書を残していることがわかる。

この映画を見ていなければ、こんなに暗い物語がおもしろいのだろうか、と疑うかもしれないが、この映画は間違いなく傑作である。カメラワーク、衣装、音楽、演技、どこをとっても素晴らしく、ストーリーと完全に一致している。

ではなぜ、リメイクを希望する? と思うかもしれないが、わたしはこのキャラクターたちの行動が個人的に気に入らないのだ。キャラクターの行動が気に入らない映画が素晴らしいと褒めるのも変な話だが、この気に入らない行動が映像に完璧にマッチし、美しいと感じてしまうのだから、不思議な映画である。

具体的にどこが気に入らないのかというと、まず母親の子供に対する接し方だ。ドレイブルハーブンのことを憎んでいるのか、彼からの求婚を拒み続けるのは本人の自由だが、その子供に罪はない。

貧しくても、子供には明るく、楽しく過ごさせてやろうとすることが親の義務ではないだろうか。せめて養育費ぐらいはもらうべきである。(時代背景もあるだろうが・・・)
こんな母親は監禁して「ライフ・イズ・ビューティフル」を繰り返し2日間ぐらいノンストップで見せ続けて子供を楽しく育てるように洗脳したくなる。

そして父親のドレイブルハーブンだ。求婚を断られ続けて、子供のことに関して罪悪感を感じるのは自由だが、母親と子供を同一視してか、自分の地位を利用して子供を苦境に立たせるのは屈折している。そして最後には遺産を残して死んでいく。一体何がいいたい、ドレイブル。

息子のヤコブも同じだ。自分の恋愛が実らなかったのは残念だし、父親の数々の妨害にあったことは可愛そうだと思うが、暴力で父親を打ち負かそうとするとは、彼もまた間違った方向へ進んでいる。

かつてスタンリー・キューブリックは、核戦争をモチーフにしたシリアスな原作を「博士の異常な愛情」という傑作喜劇に作り変えた。本編の映像には残されなかったが、映画のラストでは、作戦会議室の中で、大統領を含めた国の要人たちにパイ投げ合戦をさせたというから彼の想像力は異常、失礼、天才的だ。(実際に撮影されたそうである)

そこでこの映画を彼に見習って底抜けに明るく、抱腹絶倒のコメディにリメイクしたらどうなるだろうか。

まずは、父親はオリジナルでは泣く子も黙る債権取立ての執行官だが、リメイクでは泣く子も笑うベテランコメディアンにしてみよう。

舞台は、アメリカ、ニューヨーク。
主なストーリーは同じで、母親はドレイブルハーブンからの求婚を断り続けて生活は苦しいのだが、彼女もまた元プロのコメディエンヌ(ドレイブルハーブンの弟子)でドレイブルハーブンとの一夜限りの関係でできた子供にはどんなときも笑いだけは忘れないように明るく育てる。

そして息子もやがて、プロのコメディアンになることを決意する。

ドレイブルハーブンは母親に自分の求婚が断られ続ける腹いせに、息子がお笑いライブができないように自分の力が及ぶ限りあちこちの劇場に圧力をかける。(ドレイブルハーブンの性格はオリジナルと同じでヒールを演じてもらおう)

それでもなんとか理解者を見つけ、地道にお笑い活動を続けた息子のヤコブはいつしか若手コメディアンのホープと呼ばれるまでになる。

ある雑誌のインタビューで、ヤコブは名コメディアンのドレイブルハーブンとのスタンダップコメディ対決をしたいと語る。

それをテレビ局が企画してドレイブルハーブンのもとを訪れるが、彼はこれを拒否する。

それでもヤコブはあちこちのメディアにその要望を訴え続け、大衆を見方につけることに成功する。

ファンの要望が強くなったため、しぶしぶドレイブルハーブンはその対決を受けることにする。

いよいよ対決当日。
政治家の物まねや、社会風刺などの知的ネタで、堅実な笑いをとるドレイブルハーブンに対し、ヤコブはドレイブルハーブンが嫌う放送コードぎりぎりの下ネタで、大爆笑をとる。

そしてヤコブが自分たちのルーツであるオランダ人を茶化した自虐ネタを披露し始めると、ついにドレイブルハーブンの怒りは頂点に達し、舞台上のヤコブにマイクを振りかざし、襲いかかった。舞台上でもみ合うふたりだったが、観客はこれがふたりのコントであると勘違いし、おおいに盛り上がる。

そのまま幕が閉じ、ふたりはそれでも組み合っていたが、突然、ドレイブルハーブンが心臓発作に襲われる。

急変を知ったヤコブはすぐに父を病院へ運ぶ。

手術室に運ばれる途中で意識を取り戻したドレイブルハーブンはそばにいるヤコブを見つけると、ヤコブのお笑いライブでのダメだしを始めた。ネタの扱い方、間の取り方、小道具の使い方、そして客のいじり方に及ぶまで、細かいことをくどくどとヤコブにいい始めた。

手術が開始される直前まで、ドレイブルハーブンはヤコブがデビューしてからの舞台のパフォーマンスに関して自分が気づいた点をヤコブにまくし立てるのだった。

そして、手術台の上に載せられた瞬間、ドレイブルハーブンは息を引き取った。

ドレイブルハーブンの葬式当日、彼の弁護士が、ヤコブにドレイブルハーブンから預かったというネタ帳を手渡した。

そのネタ帳のネタはほとんどが時代遅れで、ヤコブにはおもしろくなく使えないものばかりだった。ヤコブはそのネタ帳を複雑な思いで見つめるのだった・・・。

こんな物語はどうだろう。
「キャラクター 孤独な人の肖像」の原作はオランダでは20世紀を代表する小説らしいので、このように映画化したら、熱烈な原作ファンから訴えられそうな気がする・・・。









DVD 「キャラクター 孤独な人の肖像」
第70回アカデミー賞外国語映画賞受賞作品。これが監督デビュー作というからなんともすごい人です。

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